初めておいでになった方は、「はじめに」を読んでください。


by umepochisky
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昨日はカウンセリングの前に、新妻Aちゃんと新宿のマクロビレストランでランチをしました。伊勢丹の食堂街の中にあるチャヤマクロビオティックレストランです。
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メインディッシュの根菜と雑穀の・・・ガレット?ガラット?ん?・・・ハンバーグみたいなもんです。
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これデザートのイチジクの・・・ん?・・・イチジクの何かです。それと三年番茶。

以前に買ったレトルトとは違って、味もしっかりついてるし、甘い物もあるし、魚メニューもあったので、これだったらマクロビもいいなぁ。美味しいなぁ。毎日でもいいよ。
Aちゃん「外食産業ですからね。不味かったら客が来ないんでしょうね」
おぉ!Aちゃん頭いい!
Aちゃんは、独身時代に仕事を私に振ってくれてた立場の人で、お世辞抜きでとても明晰で優秀だったから、仕事がしやすかったのよね。
結婚して会社を辞めると聞いた時、本当はちょっと残念だったんですよ。しょんぼり。

話は変わるけど、デザートの時、Aちゃんはカボチャのケーキを頼んだのに、マロンのケーキが出てきてしまいました。
ここでしつこくアサーションを連想してしまって(今は頭の中がこれでいっぱい)、疑問が一つ生じました。

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by umepochisky | 2005-09-30 13:56 | 日記

アサーションの補足説明

ちょっと説明不足だなと思われたので、アサーションについて補足します。
自分が、今の段階で知りうる範囲で。
というのも、今後の私の言葉には、”権利”という単語が頻繁に出てくる恐れがあるからです。
思想家になろうなんておこがましいことを考えているわけじゃなくて、アサーションの考えに馴染もうとした時、どうしても人権を意識せざるを得ないので、どうかご了承ください。

アサーションは、キング牧師の公民権運動、黒人解放運動と深く関わっているようです。
アサーションは、「自他の基本的人権を尊重する」という考え方なのです。

私が言うまでもなく、かつてのアメリカでの黒人差別は、現代の比ではないほどでした。キング牧師は、自らの姿勢をもって非暴力的に、自己主張することを黒人にアピールしました。
黒人にも、自分の考えを主張する権利があるのだと。
それが、アサーションでした。

自分の考えを主張する時、攻撃的、一方的に自分の意見を押し通すのでは、相手の人権を踏みにじっていることになります。
そこで相手を思いやりながら、かつ自分を犠牲にしないで主張する方法を体得しておかねばならなくて、それがアサーショントレーニングなのです。
そして、自分の発言したことには、自分で責任を持たなければいけません。
相手が受け入れてくれなくても、恨んだり怒ったりするのは筋違いです。
人間同士が、ピッタシカンカンに意見が合う事の方が少ないのだから、
どういう反応が返ってきても認めるべきです。
その上で再度、自分の意見を言ってみる。
そうやっていくうちに、相互理解を深めていけることもあるのです。
深まらないこともあるけど、それは仕方ないことです。
それはそれとして、受け止めましょう。
自分の意見を押し殺して相手に迎合してへつらうよりは、気持ち的には納得いく結果になると思われます。

言葉と同様に行動についても、自分の意志で選択して行動し、その結果については自分で責任を持たなくてはいけません。
そうやって、自分の意見を主張する権利を行使しながら、相手の権利も認め、その結果については自分で責任を取る。

今の段階では、こんな感じでで理解しています。

最後まで読んでくれた方に・・・
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by umepochisky | 2005-09-30 02:14 | カウンセリング日記
8月末のカウンセリングで、「アサーション」という”相手を思いやりながら、自分の意思もちゃんと表現するトレーニング”があることを知り、じゃぁ次回はアサーションについて話しましょう、ということになっていました。

が、1ヶ月も猶予があったのに、本を買ったのが3日前。
薄い本なんだけど、理論を理解しようとしながら読むと、小説のように一気読みができなくて、実は2/3ほどしか読んでません。
すんません。こういう奴です。私って。

最近、「頭のいい人の話し方」「お金持ちの発想法」的な本が流行ってますけど、正直なところ、その手の本はあんまり当てにはしてなかったので、このアサーショントレーニングについても「参考までに」程度のつもりでした。
私の買った本は、「アサーショントレーニング」(平木典子著)で、副題が「さわやかな自己表現のために」ですよ。
さわやか? なんかクサイぞ。歯が浮くぞ。これも当てにできそうもないな〜。なんて思いながら、読み始めたわけです。
(この本はビギナー向けなんですが、さらにもう一段階下に超ビギナー向け「自己カウンセリングとアサーションのすすめ」というのがあるらしいです。内容は同じで、書き方が違うだけのようです)

それがけっこう、目からウロコ。
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by umepochisky | 2005-09-30 00:00 | カウンセリング日記

毛皮は是か非か2

自分が言いたかったことを、もう一度まとめてみます。


まず、ファッションのためだけに毛皮を利用するのはよろしくない、と問題提起することは良いことです。
あらゆる事象に疑問を投げかけ、それを社会に問いかけていくのは必要で大切なことです。
問題なのは、そのやり方です。
暴力的な弾圧であってはいけないと私は思っています。
暴力は、誰かが異を唱えることを遮断し、最も力が強い一部の人間の意思だけがまかり通るような事態を招くからです。
あらゆる事象は良い面と悪い面が表裏一体になっていて、一側面だけを捉えて判断することは危険です。
ですから、弾圧ではない方法で問題を訴え、それについて個々が考え、または人と話し合い、選択・判断していくべきです。
全ての活動家が暴力的だとは言いません。しかし、ヒステリックに自分の思想を振りかざし、自分の意に添わない人々や考え方を非難し排除してしまおうとする過激派も、やはり存在します。動物愛護の場でも、そういう事態はあります。
自分の考えが正しいのだと信じることは良いことですが、エスカレートすると暴力になってしまうことを理解していないと問題は大きいと思います。
ちょっと問題は変わりますが、連想したことを一つ。
捕鯨問題です。
肉食の欧米人は、クジラを捕獲して食べるのは野蛮だ。クジラじゃなくたって、他の物を食べればいいじゃないかと日本人を責め立てます。
もちろん、乱獲はいけません。大切な海洋資源であり、生き物です。
ですが私は、養殖ができないなら、調査をして、生態系に大きな影響を与えないよう配慮しながら捕鯨をするのはいいのではないかと思います。
クジラがなくても別に困りません。
他にも肉はあります。
でもクジラを食べるのも日本の文化です。
食べないという選択肢もあるし、ありがたく味わうという選択肢もあります。
「僕らはクジラを食わないから、日本人もクジラを食うな」と
強制することが暴力的だと感じるのは、私だけでしょうか?

皮革製品は、目につきやすい物だからやり玉にあげられやすいですが、自分が直接手にかけていない、目の前で殺戮が行われていないというだけで、私たちの生活の全ては他者の犠牲の上に成り立っています。
ケミカルは、動物実験を通さないと人間での臨床実験ができません。
SEAさんの言う、”なるべく”というのがどの程度の数かは解りませんが、
少ない数であれば、自分のためになるのだから良いのだというエゴと、
ファッションで毛皮を着るエゴと、
私には同質のように思えて、そこに大きな矛盾を感じます。
これは自分のためになるからいいけど、あれは自分にはなくてもいいから他の人も利用しちゃダメだという理屈が、どうにも私には納得できないんです。

私は決して、毛皮をみんなで着ましょうと言っているのではありません。

でも、私には10年以上履いている革靴が3足あります。
良い革製品は、足に馴染んで歩きやすく、足も痛まないし、修理をしながら一生使うことができます。
合成素材の靴は、足が痛むし馴染まないし、何よりすぐ破れてしまって長持ちしません。
だから私は、それが動物の皮を剥いだ物だと知っていながら、革靴を愛用しています。
靴だって本革じゃいけない筋合いはありません。
ちょっと前までは、みんな下駄か草履だったんですから、それだっていいはずです。
いまどき下駄はかっこ悪いですか?
かっこ悪いから靴を履くなら、それもファッションですよね?
ファッションで革靴を履くなんて悪いことだ、と言われたら、困りましたね。
私は、短い周期で合成素材靴を大量消費し、いつも足に痛みを感じていなくてはいけません。

一方、生活の一切から動物的なものを排除する道を選択して、行動に移している人もいます。
尊敬に値します。なかなかできることではありません。
ですが、それを全ての人に強制することはできません。
私は、革靴を大切に大切に、もう絶対履くのは不可能と思えるまで、使いたいと思っています。それが、革靴を選択した私の義務です。その靴のために犠牲になった牛に報いるために。

ついでに、私の革ジャンは、今年4回目の秋を迎えました。
ナイロンの裏地は既に破れてボロボロです。変色もあります。
でも表の革は、買った時のように穴も擦れもなく、かつ私の体に合わせて伸び、
しっくり私を包んでくれます。
私はこれが手放せません。毎年、春と秋はいつもこの革ジャンです。
私にこの革ジャンや革靴を使うなと強制する人がいたら、
とても悲しいです。
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by umepochisky | 2005-09-28 18:36 | ニュース・社会問題

毛皮は是か非か

深沢七郎の話から、思いもかけずに毛皮の話になったので、いい機会なので自分の見解を記事にしてみようと思います。異論反論あるかと思いますが、お手柔らかに(笑)。

毛皮を採るためだけに動物を殺す非道さについては、理解できます。
確かに、何百万もする毛皮を何着持っているということを自慢するようなタイプは、私もどうかな?と思います。
ですが、あまりストイックに「毛皮は悪趣味だ」とも思いません。

生きとし生けるものは全て、他者の命を利用して傷つけて成り立っていて、
文明は、人間のエゴそのものだから、
我々の生活の全てはエゴイスティックで、
あまり厳密になりすぎると、存在してはいけないからです。

例えば、人間は食べるために家畜を飼い、行動と生殖をコントロールします。
ペットを飼い、無用に増えては困るからと去勢して生殖をコントロールし、首輪をつけて行動を制限し、しつけを押し付けます。
私たちが使うシャンプーも化粧品も、病院でもらう薬も、
ペットに食べさせるペットフードも、動物病院の薬も、
全て何千何万、それ以上の動物の命の犠牲があって成り立っています。

米や野菜を食べるということだって、田畠を耕すという自然破壊によって成り立っています。
貿易という名の下に多くの動植物が大陸間を移動して、生態系を変えています。

それでは、それらの全てをすべきではない、と思いますか?

私は、程度の問題と、利用する人々の心の問題だと思います。
肉であれ野菜であれ「食べる」という他者の命を犠牲にする行為をする時に、そこで犠牲になった命に感謝する気持ちがなければ、それは毛皮を見栄で着用しているのと同類だと思います。

極論かもしれませんが、毛皮だけが特別非道なものではなく、
それだけをピックアップして考えるのは、ナンセンスだと思うのです。

毛皮を着ない人は、シャンプーを使わないのでしょうか?
病気になっても薬を飲まないのでしょうか?

きっと、毛皮はファッション(=楽しむこと)であって、シャンプーや薬は人間のためになることだからいいのよ、と言う人もいるかもしれません。
でもこれ、一見違うように見えて、同じことのように私は感じます。

ある動物愛護団体が、某国の祭儀で羊を生け贄にするのを「なんて野蛮な!」と糾弾していました(アメリカ在住の少数民族の儀式を見て)。
私は、その動物愛護団体の方が野蛮だと思いました。
その祭儀は、長くその国で続いて来た神聖で歴史のあるものでした。
その人達の文化です。
確かに逆さ吊りにして首を切られる羊は可哀想な映像だったけども、
家畜や野菜を食い、ペットを飼い、病院で薬をもらい、シャンプーをして化粧をする人には、彼らを野蛮呼ばわりする資格はないと思いました。
ファッションもまた、この祭儀と同じだと思います。

もちろん、毛皮推奨という話ではありません。
あまりストイックに糾弾することは、暴力であると言いたかったのです。
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by umepochisky | 2005-09-28 00:45 | ニュース・社会問題

リスペクト深沢七郎

「生きているのはひまつぶし」深沢七郎未発表作品集
(光文社¥1600+税、2005年7月発行)
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by umepochisky | 2005-09-27 17:16 | オススメモノ

コブタカメラ

ヴィレッジバンガードで発見、コブタカメラ。¥1523。
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しかもサイズは、横4センチ、縦3・3センチ、高さ3・3センチのミニサイズ。
口の中に入ります。。。
本当に撮影できるのか?
コブタ以外にも蟻とか蜂とか、6〜7種類ほどありました。
どんな写真が撮れるか楽しみ。
うふん。
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by umepochisky | 2005-09-26 23:14 | 日記

ヤクザと私〜最終夜

Sさんは人情家で曲がったことがきらいで(ヤクザなのに)、悪人ではないことはよく解るので、ママも私も彼女には悪い感情を持ってはいませんでした。

が、他のお客さんにとってはそうでもないんですよね。
ノリがちょっと違うし、何かと他のお客さんにつっかかるような言動をするし、男のヤーサンにしか見えないのに実は女だし、集団の中ではハブかれがちなんです。
もしかしたらSさんは男が嫌いだったのかもしれませんし、ママに特別な感情があるから、他の男性客が邪魔だったのかもしれません。
楽しく酒を飲んでカラオケ歌いたい男性客には、すこぶるウケが悪い人でした。どういう風に接したらいいのか、みんな解らなかったのかもしれません。

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by umepochisky | 2005-09-25 06:50 | いろんな人のこと
たかがテレビ。002●テレビを見なかった2年間からのトラバです。

本当は、「ヤクザと私」のまとめを書こうと思ってたんだけど、どうやら考えがまとまったので、忘れないうちにテレビについて書いておきます。

私は、家にいる時は24時間テレビをつけっぱなしです。
仕事中も寝てても、音楽を聴いてる時も。
さぞかしうるさいだろうと思われるでしょうが、確かにうるさいです。
が、耳鳴りと同じで、興味のない雑音は耳に入っても脳には届かないので、それほど生活に支障はありません。自分にとって興味のある音にだけ脳が反応するようで、無意識に音声情報の選別をしているらしいです。
だから音楽を聴いている時は音楽に集中してるので、テレビの音と被っていてもさほど気になりませんが、どうしてもという時はヘッドホンを利用してます。

これは阪神大震災以降に顕著化した習慣ですが、10代の頃にはラジオを聴きながら寝てたし、物心つく前は、私を育ててくれた祖父母がラジオをつけぱなしで(イヤホンなし)寝る習慣があったので、もともと常に雑音のある状況が苦にならない脳みそになってるようです。

そんな私でも、テレビを持たず、新聞も取らず、人とも接触をしないように暮らしていた時期が1年ほどありました。引きこもってたつもりはないけど、引きこもりみたいなもんです。
ある日、隣に住んでた女の子が見かねて「たまには外に出ようよ。ご飯食べよう」と誘ってくれたランチで、「ウメちゃん、あと二日で湾岸戦争が始まっちゃうね」と話題を振られて、初めて自分が浦島太郎になっていることに気付きました。
「あぁ・・・そうだねぇ。世の中、大変なことになってるよねぇ」と知ったかぶりをしてしまいました。
心の中では、湾岸ってどこよ!?どことどこが戦争するの?なんで戦争するの?とかなり焦ってました。
彼女の話し振りからは大規模なコンバットであることが伝わってきて、また「戦争」という衝撃的なフレーズだったこともあって、それを知らない自分をとても恥ずかしく感じました。社会に無関心だった自分がね。
(だから知ったかぶりをしてしまった見栄っ張りです)
ランチの後、その足でテレビを買いに行き、開戦にはギリギリ間に合いました。
もちろん、情報源はテレビでなくともいいんです。ラジオだって新聞だってあるし、当時はなかったけど今ならネットもあるし。
今、現在進行形で何が起こっているかを知るための何らかの術は持っていなくてはちょっと困ることになる、とこの時に思い知りました。

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by umepochisky | 2005-09-23 04:30 | 私のこと・思想
さて、もうちょっとで終わらせようと思うのですが、思いもかけず長くなりました。

私がそのスナックで働きだしたのは、確か9月か10月ぐらいのこと。
C子ちゃんは、その半年前の3月に中学を卒業していて、それとほぼ同じ時期にSさんも出所したそうだから、2人が一緒に暮らしだしてまだ半年だったんですね、出会った頃は。

C子ちゃんは高校に行ってなかったし、育った施設からも遠く離れて、友達がいなくて淋しい思いをしていたのかもしれません。

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by umepochisky | 2005-09-21 05:05 | いろんな人のこと