本日午後、7月17日に永眠された明智先生の追悼式に行ってきました。
当初は独りで伺うつもりでしたが、昨晩遅く、元彼から電話が来て「仕事のやりくりがついたから、僕も行く」というので、2ヶ月ぶりに会う事ができました。
今日は、おそらく49日に当たるのだと思います。
最初、49日は「ご仏前なの?ご霊前なの?」とドキドキしてましたが、無宗教葬でしたので助かりました。
場所は厚生年金会館で、たくさんの方がいらっしゃっていて、故人がいかに慕われていたかを物語っていました。
生前の明智先生を偲ぶビデオ上映があってから、続いて弔辞です。
弔辞は、団鬼六さん、桜田伝次郎さん(漢字が違ってたらごめんなさい)、高須基仁さんが述べられました。(明智伝鬼の伝は、桜田さんのお名前から取られたそうです)
それから、列席者の献花ならぬ「献縄」がありました。
受付でいただいた20センチほどの短い麻縄を一重に縛って捧げます。
なかなかユニークで、良い儀式だと思いました。
自分たちの献縄を終えて席に戻ると、元彼が目頭を押さえて嗚咽をこらえていました。
ビックリ。
彼が泣いている姿なんて、初めて見ました。
彼の涙と列席者の黒い後ろ姿。
喪服を眺めていると、「民族の美学」という言葉が思い浮かびましたが、それがどういうことかは自分でも解りません。
心が半分、違う世界に往ってしまってボンヤリしていたようです。
寺山修司の歌も頭をよぎりました。
追悼式や葬式の類では、ついつい現ではないところへ気持ちが持っていかれがちです。
追悼式の後、久しぶりに太陽の下を2人で歩きました。
元彼「僕、泣いちゃいました」
私 「おう。あんたの涙、初めて見たよ」
元彼「あれ?そう?僕けっこう涙腺緩いんだよ」
私 「え?5年つきあって、1度も見た事なかったよ」
元彼「そうだっけ」
元彼「今日はありがとう。いつも1人で行動するのイヤで、今日も1人だったら来たくなかったんだ・・・じゃ、また明日」
彼は右へ、私は左へ。
また明日。
私たちは、会う予定はなくても必ず「また明日」と言って別れるのが常でした。
また明日。
もしかしたら、もう会う事はないかもしれないけど。
青空だったらよかったのに、見上げた空は、台風の名残の雲で真っ白でした。
当初は独りで伺うつもりでしたが、昨晩遅く、元彼から電話が来て「仕事のやりくりがついたから、僕も行く」というので、2ヶ月ぶりに会う事ができました。
今日は、おそらく49日に当たるのだと思います。
最初、49日は「ご仏前なの?ご霊前なの?」とドキドキしてましたが、無宗教葬でしたので助かりました。
場所は厚生年金会館で、たくさんの方がいらっしゃっていて、故人がいかに慕われていたかを物語っていました。
生前の明智先生を偲ぶビデオ上映があってから、続いて弔辞です。
弔辞は、団鬼六さん、桜田伝次郎さん(漢字が違ってたらごめんなさい)、高須基仁さんが述べられました。(明智伝鬼の伝は、桜田さんのお名前から取られたそうです)
それから、列席者の献花ならぬ「献縄」がありました。
受付でいただいた20センチほどの短い麻縄を一重に縛って捧げます。
なかなかユニークで、良い儀式だと思いました。
自分たちの献縄を終えて席に戻ると、元彼が目頭を押さえて嗚咽をこらえていました。
ビックリ。
彼が泣いている姿なんて、初めて見ました。
彼の涙と列席者の黒い後ろ姿。
喪服を眺めていると、「民族の美学」という言葉が思い浮かびましたが、それがどういうことかは自分でも解りません。
心が半分、違う世界に往ってしまってボンヤリしていたようです。
紋付の紋が背中を立ち上がり蝶となりゆく姉の初七日
寺山修司の歌も頭をよぎりました。
追悼式や葬式の類では、ついつい現ではないところへ気持ちが持っていかれがちです。
追悼式の後、久しぶりに太陽の下を2人で歩きました。
元彼「僕、泣いちゃいました」
私 「おう。あんたの涙、初めて見たよ」
元彼「あれ?そう?僕けっこう涙腺緩いんだよ」
私 「え?5年つきあって、1度も見た事なかったよ」
元彼「そうだっけ」
元彼「今日はありがとう。いつも1人で行動するのイヤで、今日も1人だったら来たくなかったんだ・・・じゃ、また明日」
彼は右へ、私は左へ。
また明日。
私たちは、会う予定はなくても必ず「また明日」と言って別れるのが常でした。
また明日。
もしかしたら、もう会う事はないかもしれないけど。
青空だったらよかったのに、見上げた空は、台風の名残の雲で真っ白でした。
#
by umepochisky
| 2005-09-06 23:18
| 日記